Page:Kokubun taikan 07.pdf/73

提供:Wikisource
このページは検証済みです

ばらののたまひけるは、「大路わたる事は常なり。藤つぼのうへの御局につふと、えもいはぬうちいでどもわざとこぼれいでゝ后の宮うちの御前などさしならび御簾の內におはしまして御覽ぜしに、お前通りしなむたふれぬべき心ちせし」とこそのたまひけれ。又それのみかは、大路にも宮の出車十ばかりをば引續けて立てられたりしは、一町かねてはあたりに人もかけらず、瀧口さぶらひの御前どもにえりとゝのへさせ給へりしさるべきものゝ子どもにて、心のかぎり今日は我が世と人はらはせ、きらめきあへりしきそくどもなど、よそ人誠にいみじう見侍りしか」」とて車のきぬの色などをさへ語り居たるぞあさましきや。「「さてこの御腹におはしましゝ女宮一人はいとはかなくうせ給ひにしぞかし。又女七の宮は御物のけこはくてうせ給ひにき。九の宮は今入道一品宮とて三條におはしましき。うせ給ひて十四年にやならせ給ひぬらむ。うみおき奉らせ給ひしたびの十の宮こそは今の齋院におはしませ。いつきの宮世に多くおはしませど、これは殊にうごきなく世に久しくたもちおはしますも、唯この御すぢのかく榮え給ふべきぞと見申す。御門たびたびうせ給へど、この齋院はうごきなくおはします。それも賀茂の明神のうけ給へればかくうごきなくおはしますなり。佛經などの事は昔の齋宮齋院はいませ給ひけれど、この宮には佛法さへ崇め申し給ひて朝ごとの御念誦欠かせ給はず。近うはこの御寺のけうの講にはさだまりて布施をこそおくらせ給ふめれ。いととうより神人にならせ給ひて、いかでかゝる事思し召しよりけむと覺え候ふは、賀茂のまつりの日、一條の大路にそこら集まりたる人、さながら共に佛とならむとちかはせ