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ゞめの森、布引の瀧など御覽じやらるゝもふるき御幸どもおぼしいでらる。生田の里をばとはで過ぎさせ給ひぬめり。湊川の宿につかせ給へるに、中務の宮はこやのしゆくにおはしますほど、ま近く聞き奉らせ給ふもいみじうあはれにかなし。宮、

  「いとせめてうき人やりの道ながらおなじとまりと聞くぞうれしき」。

福原の島より宮は御船にたてまつる。御門は和田のみさき苅藻川をわたして須磨の關にかゝらせ給ふ。かの行平の中納言「關ふきこゆる」といひけむはうらよりをちなるべし。あはれに御覽じわたさる。源氏の大將の「なくねにまがふ」とのたまひけむうらなみ、今もげに御袖にかゝる心ちするもさまざま御淚のもよほしなり。播磨の國へつかせ給ひて、しほやたるみといふ所をかしきを問はせ給へば、「さなむ」と奏するに「名を聞くよりからき道にこそ」とのたまはせて、さしのぞかせ給へる御さまかたちふりがたくなまめかし。けぢかきかぎりはあはれにめでたうもと思ひ聞ゆべし。大くら谷といふ所少し過ぐるほどにぞ人麿のつかはありける。明石の浦をすぎさせ給ふに、島がくれゆく船どもほのかに見えてあはれなり。

  「水のあわのきえてうき世をわたる身のうらやましきはあまの釣舟」。

野中のしみづ、ふたみの浦、高砂の松など名ある所々御らんじわたさるゝもかゝらぬ御幸ならばをかしうもありぬべけれど、よろづかきくらす御みだり心ちに御目とまらぬも我ながらいたうくんじにけるかなとおぼさる。いと高き山の峯に花おもしろく咲きつゞきて白雲をわけゆく心ちするも艷なるに、都の事かずかずおぼしいでらる。