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ゑをかくるゝまで御覽じおくるも猶夢かとおぼゆ。鳥羽殿におはしましつきて御よそひあらため、わりごなどまゐらせけれど氣色ばかりにてまかづ。これより御輿にたてまつれば留るべき御ぜんどもの、空しき御車をなくなくやりかへるとてくれまどひたるけしき、いと堪へがたげなり。かくて君は遙に赴かせたまふ。淀のわたりにて、むかし八幡の行幸ありし時橋わたしの使なりし佐々木の佐渡の判官といふもの今は入道して今日の御おくりつかうまつれるに、その世の事おぼしいでられていと忍びがたさに給はせける。

  「しるべする道こそあらずなりぬとも淀のわたりはわすれしもせじ」。

又の日は中務のみこ土佐の國へおはします。御供に爲明中將まゐる。日頃かくあやしき御やどりにものし給ふを忝く思ひきこえつるに、遙なる世界にさへゐておはしませば、ましていかさまなるわざをして御覽ぜられむとあるじ時信けいめいしさわぐ。宮既にたゝせ給ふとて、甁にさしたる花を折りて、

  「花はなほとまるあるじにかたらへよわれこそ旅にたちわかるとも」。

おなじ日やがて妙法院の座主尊澄法親王も讃岐國へおはします。先帝は今日津の國こやの宿といふ所に着かせ給ひて、夕づく夜ほのかにをかしきをながめおはします。

  「いのちあればこやの軒端の月も見つまたいかならむゆくすゑのそら」。

こやより出でさせ給ひて武庫川、神崎、難波、住吉など過ぎさせ給ふとて御心のうちにおぼすすぢあるべし、廣田の宮のわたりにても御輿とゞめて拜み奉らせ給ふ。あしやの松原、す