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今さらこゝろうし。御車にたてまつるとて日頃おはしましつる傍の障子に書きつけさせたまふ。

  「いさしらずなほうき方のまたもあらばこのやどゝてもしのばれやせむ」。

御供には內侍の三位殿、大納言、小宰相など、男には行房の中將忠顯少將ばかりつかまつる。おのがじゝ都の名殘どもいひつくしがたし。六波羅よりの御おくりの武士、さならでも名あるつはものども千葉介貞胤をはじめとしておぼえことなるかぎり十人選びて奉る。いろいろのあやにしきの水干直垂などいふものさまざまに織りつくし染めつくしていみじき淸らを好みとゝのへたれば、かくてしも世にめづらしき見ものなり。六波羅より七條を西へ大宮を南へをれて東寺の門前に御車おさへらる。とばかり御念誦あるべし。物見車所せきほどなり。よろしき女房もつぼさうぞくなどしてかちの物どもゝうちまじれり。さらでも老いたるも尼法師あやしき山がつまで立ちこみたるさま竹の林に異ならず。おのおの目押しのごひ鼻すゝりあへるけしきどもげにうき世のきはめは今につくしつる心ちぞする。崇德院の讃岐におはしましけむ程のありさま、後鳥羽院の隱岐にうつらせ給ひけむ時なども、さこそはありけめなれど音にのみ聞きて見ねばしらず。これを始めたる心ちぞする。日頃は何の御にほひにもふれず。數ならぬ人及ばぬ身までも今日の御別のあはれさ、なべておき所なげにぞ惑ひあへるかし。君も御簾少しかきやりてこのもかのも御覽じわたしつゝ御目とまらぬ草木もあるまじかめり。岩木ならねばものゝふの鎧の袖どもゝしほどけにぞ見ゆる。都のこず