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げにとおぼしやるにいとかなしくて玉水のながるゝやうになむ。御かへし、

  「かきたえしねをたちいでゝ君こふるなみだの玉の緖とぞなりける」。

かの承久のためしにとや、あづまよりの御使には長井の右馬助高冬といふものなるべし。これは賴朝の大將の時より鎌倉に重きものゝふにて、いまだ若けれどもかゝる大事にものぼせけるとぞ申しける。遂に隱岐國へうつし奉るべしとて、やよひのはじめの七日都を出でさせ給ふ。今はと聞しめす御心まどひどもいへばさらなり。所々のなげき近うつかまつりし人々の心ちどもおき所なくかなし。御門もかぎりなく御心惱むべし。いとかうしも人に見えじとかつはおぼししづむれど、あやにくにすゝみ出づる御淚をもてかくしつゝおはします。ふりにし事をおぼしいづるにも、立ちかへりまた世をやすくおぼさむ事のいとかたければ、よろづ今をとぢめにこそとおぼしめぐらすに人やりならず口をしき契加はり侍る。前の世のみぞつきせずうらめしき。

  「つひにかく沈みはつべき報あらばうへなき身とはなにうまれけむ」。

卯の時ばかりにいでさせ給ふ。網代の御車に御せんどもなどは故院の御世より仕うまつりなれにし者どもあるかぎりまゐれり。御車寄に西園寺中納言公重さぶらひたまふ。うへは御かうぶりに世の常の御直衣、指貫、白綾の御ぞ一かさね奉れり。こぞの今日は北山にて花の宴せさせ給ひしもあはれにおぼしいでられて、その日の事書きつらねこひしくおぼさる。人々の祿人にこそはたまはせしを、今日は御旅衣にたちかふるもあはれに定なき世のならひ、