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き御づし御調度どもなにくれ硯などもさながらうち散りて、唯今までおはしましけるあとゝ見えながら宮人などだに一人もなし。女房の曹子曹子よりひすましめくめの童など我先にと走りいで、調度ども運び騷ぎくづれいづる氣色どもいとあさましくめもあやなり。錦の几帳の內にいつかれましましつる后の宮も、何の儀式もなく忍びてあわて出でさて給ひぬれば、あたりあたりかきはらひ、時の間にいとあさましく御簾几帳などふみしたきおとして火の影もせずこゝもかしこもくらがりてうちあれたる心ちす。今朝まで九重のまがき宮の中に出で入り仕へつる男女ひとりとまらず。えもいはぬものゝふどもうち散り、あらあらしげなるけはひについ松高くさゝげて、細殿、渡殿何くれまかげさしてあさりたるけしきけうとくあさまし。世はうきものにこそ。時の間にげに心あらむ人はやがて修行の門出にもなりぬべくぞ覺えぬる。中宮はしのびて野の宮殿の傍にぞおはしましつきにける。宣房の大納言の二郞季房の宰相ばかり御とのゐにさぶらふ。廿五日の曙に武士どもみちみちて、御門の親しく召しつかひし人々の家々へ押しいり押し入りとりもてゆくさま、ごくそつとかやの顯れたるかといとおそろし。萬里小路の大納言宣房、侍從中納言公明、別當實世、平宰相成輔一度に皆六波羅へゐて行きぬ。かやうの事を見るにいとゞ膽心もうせて、おのづからとりのこされたる人も心と皆かきけち行きかくるゝほどに、ぬしなき宿のみぞおほかる。坂本には行幸をまち聞え給ひけるに引きたがへ南ざまへおはしましぬれば、そのよし衆徒に聞かれなばあしかりぬべし、又とまれかくまれ、まことのおはしまし所を、あぶなく武家へ知らせじ