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侍の君などすべて男をんな三十餘人さまかはりてけり。やんごとなき君の御時もかくばかりの事はいとありがたきを、佛などのあらはれ給ひて殊更にまよひふかき衆生を導き給ふかとまで見えたり。御本性のいとなごやかにおはしましゝかば、近う仕うまつるかぎりの人は年ごろの御名殘を思ふもいと忍びがたきうへ、大かたの世にもさしはなたれて身をようなきものに思ひすつるたぐひなど、さまざまにつけていとひそむくなるべし。若宮三所、姬宮などもおはしましけり。御息所の御腹にはあらねど、いづれをも今は昔の御かたみとあはれに見奉らせたまふ。卯月のすゑつかた夏木立心よげにしげりわたれるもうらやましくながめさせ給ふ。曉がた郭公のなきわたるもいかにしりてかと御淚のもよほしなり。
「もろともにきかましものを郭公まくらならべしむかしなりせば」。
まことや例のさきに聞ゆべき事を時たがへ侍りにけり。兵衞督爲定、故中納言のあとをかけて撰びつる撰集の事正中二年十二月の頃、まづ四季を奏するよし聞えし。のこりこの程世にひろまれるいとおもしろし。御門ことの外にめでさせ給ひて續後拾遺とぞいふなる。中宮大夫師賢うけたまはりて、この度の集のいみじきよしさまざま仰せつかはせたるに御返しに、爲定、
「いまぞしるひろひし玉のかずかずに身をてらすべき光ありとも〈は集〉」。
御返し、內の御製、
「かずかずにあつむる玉のくもらねばこれもわが世の光とぞなる」。