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おはします、御息所にもやがて故院の姬宮を女院の御傍にかしづき聞え給ひしをあはせ奉り給へれば、又なきさまにおぼしかはして過ぐさせ給へるなどいみじうしづみ入り給へり。さてあるべきならねば、常の行啓のさまにて先帝のおはしましゝ北白川殿へぞ入り奉らせ給ひぬる。土用のほどにてしばしかしこにおはしますさへいとかなし。院號などの沙汰もあるべくこそ。されどおはしましゝ時にその事はよしなかるべく仰せられおきしかば、內よりも聞しめしすぐしけり。晝の御座のよそひとりこぼち、火たきやなどかき拂ふ程猶うつゝともおぼえず。堀川の女御の「見えしおもひの」などのたまひけむは、この世ながら御心との御あかれなればうらやましくさへおぼゆ。さしあたりてのあはれはさしおきて、先帝の位ながらうせ給へりしだにあるを、又かくなかばなるやうにてあさましければ、世の人の思はむ事も心うく、一方ならぬ歎にそへたる憂へいはむ方なし。大方我が身をかぎりはてぬると思ふ人のみ多かり。有忠の中納言先坊の御使にてあづまに下りにし、いつしかと思ふさまならむ事をのみ待ち聞えつる。踐祚の御使の都に參らむと同じやうにのぼらむとていまだかしこにものせられつるに、かくあやなき事の出できぬればいみじともさらなり。三月三十日やがてかしこにて頭おろす。心のうちさこそはとかなし。

  「おほかたの春のわかれの外にまた我が世つきぬる今日のくれかな」。

都にも前の大納言經繼、四條三位隆久、山の井の少將あつすゑ、五辻の少將ながとし、公風の少將、左衞門佐としあきなど皆頭おろしぬ。女房には御息所の御方對の君、帥の君、兵衞督、內