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元のやうにおだしく定まりぬとなむ。その頃なが月ばかりまだしのゝめの程に世の中いみじくさわぎのゝしる。何事にかと聞けば美濃國の兵にて土岐の十郞とかや、また但見の藏人などいふものども忍びのぼりて四條わたりに立ちやどりたる事ありて人にかくれてをりけるを、早う又吿げしらするものありければ、俄にその所へ六波羅よりおしよせてからめとるなりけり。あらはれぬとや思ひけむ、かのものどもはやがて腹切りつ。又別當資朝、藏人內記俊基、おなじやうに武家へとられて、きびしくたづねとひまもりさわぐ。事のおこりは御門世をみだり給はむとてかの武士どもを召したるなりとぞいひあつかふめる。さてその宣旨なしたる人々とて、この二人をもあづまへ下して戒むべしとぞ聞ゆる。いかさまなる事の出でくべきにかといとおそろしくむづかし。故院おはしましゝ程は世ものどかにめでたかりしを、いつしかかやうの事ども出できぬるよし人の口安からざるべし。正應にも淺原といひしさわぎは後嵯峨院の御そうぶんを、あづまよりひきたがへし御恨とこそは聞えしかば、今も其の御憤の名殘なるべし。過ぎにし頃資朝も山伏のまねびして柹の衣にあやい笠といふ物きて、あづまの方へ忍びて下れりしは少しはあやしかりし事なり。早うかゝる事どもにつけて、あなたざまにも宣旨を受くるものゝありけるなめり。俊基も紀伊國へゆあみに下るなどいひなして田舍ありきしげかりしも今ぞ皆人思ひあはせける。さるまゝにはいひしらず聞ゆる事どもあればまだきにいと口をしうおぼされて、この事をまづおだしくやめむとおぼせば、かの正應にありしやうなるちかひの御せうそこをつかはす。宣房の中納言御使にて