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永嘉門院、西花門院などいづれもおぼし歎く人々おほかり。春宮もいと戀しく哀とのみ思ひ聞え給ふまゝには御法事をぞまめやかに勤めさせ給ひける。大覺寺にては、性圓法親王とりもちて行はせたまふ。御門春宮の御法事は龜山殿の大多勝院にてつとめらる。あはれあはれといひつゝも過ぎやすき月日のみうつりかはりて年もかへりぬ。をとゝしばかりより又重ねて撰集の事仰せられしを、爲世の大納言二たびになりぬればにや、爲藤の中納言にゆづりしを、いくほどなくかの中納言惱みてうせぬ。いといとほしうあはれなり。故爲道朝臣のうせにし、唯年月ふれど絕えぬうらみなるに又かくとり重ねたるなげき、大納言の心のうちいはむかたなし。春宮よりしばしばとぶらはせ給ふ御消息のついでに、

  「おくれゐる鶴のこゝろもいかばかりさきだつ和歌のうらみなるらむ」。

御かへし、大納言爲世、

  「おもへたゞ和歌の浦にはおくれゐて老いたるたづのなげくこゝろを」。

世に歌よむとおぼしき人のあはれがり歎かぬはなし。せめて勅撰の事撰びはつるまでなどかはとぞひとびとのなげきいとほしげなり。故爲道の中將の二郞爲定といふを、故中納言とりわき子にして何事もいひつけしかば、せんかのこともうけつぎて沙汰すべしなどぞ聞ゆる。大納言は、末の子爲冬の少將といふをいたくらうたがりてこのまぎれに引きや越さましと思へるけしきありとて爲定もうらみ歎きて、山伏すがたに出でたちて修行に出でうせぬるなどいひさたすれば、人々いとほしうあはれになどもてあつかへど、さすが求めいだして