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     第十六 春のわかれ

卯月のすゑつかたより法皇御惱み重くならせ給へば天下のさわぎ思ひやるべし。御門もいみじくおぼしなげき、御修法どもいとこちたく、またまたはじめ加へさせ給へど、しるしもなくて日々におもらせ給へば、夜晝となく、「いかにいかに」ととぶらひ奉らせ給ふ。若き上達部などは、直衣にかしはばさみして、夜中曉となく、遙けき嵯峨野を料の御馬にて馳せありき給ふめり。今はむげにたのみなきよし聞ゆれば、大覺寺殿へ行幸ありし事おぼしいづ。萬の事ども聞えさせ給ふ。うへの一つ御腹の二品法親王性圓と聞ゆるを、いとかなしきものに思ひ聞えさせ給ひて、この大覺寺に、そこらのみさうみまきなどをよせおかる。法のあるじとしておはしますべくおぼしおきてけり。さやうの事など見給へざらむあと、後めたからぬさまなどぞ聞えさせ給ひける。その後御うまごの春宮行啓あり。世をしろしめさむ時の御心づかひなど、今すこしこまやかに聞えしらせ給ふ。宮は先帝の御かはりにもいかで心の限仕うまつらむと、あらましおぼされつるに、飽かず口をしうて、いたうしほたれさせ給ふ。御門の御なからひ、うはべはいとよけれども、まめやかならぬをいと心苦しとおぼさるれど、ことにいで給ふべきならねば、唯大かたにつけて、世にあるべき事ども、又この頃少し世にうらみあるやうなる人々の、我が御心にはあはれとおぼさるゝなどあまたあるをぞ、「御心のまゝなる世にもなりなむ時は、必ず御用意あるべく」など聞え給ひける。中御門の大納言經繼、六條の中納言有忠、右衞門督敎定、右衞門佐俊顯など聞えし人々の事にやありけむ、き