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ば穴を堀りてはいひいれ侍りけめとおぼえ侍る。返す返す嬉しく對面したるかな。さてもいくつにかなり給ひぬる」」といへば、今一人の翁、「「いくつといふことも更に覺え侍らず。たゞしおのれは故太政のおとゞ貞信公の、藏人の少將と申しゝ折の小舍人わらは大犬丸ぞかし。ぬしはその御時の母の后の宮の御方のめしつかひ、かう名のおほやけのよつぎとぞいひ侍りしかしな。さればぬしのみとしはおのれにはこよなくまさり奉らむかし。みづからはこわらはにてありし時、ぬしは廿五六ばかりのをのこにてこそはいませ〈如元〉しか」」といふめれば、世繼「「しかしか、さ侍りしことなり。さてもぬしのみ名はいかにぞや」」といふめれば、「「故太政大臣殿にて元服仕うまつりし時、きんぢが姓は何ぞと仰せられしかば夏山となむ申すと申しゝを、やがてしげきとなむつけさせ給へりし」」などいふに、いとあさましくなりぬ。誰も少しよろしきものどもは見おこせゐよりなどしけり。年二十ばかりなるなまさぶらひめきたるものゝ、せちに近く寄りて、「「いでいと興ある事いふらうざたちよな。更にこそ信ぜられね」」といへば、翁二人見かはしてあざわらふ。繁樹となのるがかたざまに見やりて、「「ぬしはいくつといふ事覺えずといふめり。この翁どもは覺え給ふや」」と問へば「「更にもあらず。一百五十歲にぞ今年はなり侍りぬる。されば繁樹は百四十には及びさふらふらめ〈如元〉」」とやさしく申すなり。「「おのれは水の尾の御門の坐します年のむつきのもちの日生れて侍れば十三代にあひ奉りて侍るなり。けしうはさふらはぬ年なりな。まことゝ人おぼさじ。されど父がなまがくしやうにつかはれ奉りて、げらうなれどもみやこほとりといふ事も侍れば目〈如元〉を見たまへて