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むすびて鶴のまろを白と黃とにうちてつけたる、山吹よりはにほひなく見ゆ。さまざまの神寶神馬みてぐらなど、夜もすがらのゝしりあかして、又の日の暮つかたかへらせ給ひぬ。おなじ卯月十七日、賀茂の社に行幸なる。上達部など多くはさきにおなじ。衣がへの下がさねども、けぢめなくすゞしげなり。別當の下部このたびは十二人、かちんに雉の尾をしろううちちがへてつけたり。これもけちえんにこのましげなり。明くる日は祭なれば、かんだちのかたうち續き華やかにおもしろし。今日の使は德大寺中將公淸なり。春宮大夫公賢の聟にておはすればにや、左大臣の大炊御門富小路の御家よりぞいでたゝれける。人がらといひよろづめでたく見ゆ。萠黃の下がさね御家の紋のもかうをいろいろに織りたりしにや、近比のつかひには似ずいといみじくきらめき給へり。中宮の使は亮藤房なり。この頃時にあひたるものなれば、いと淸げに劣らぬさまなり。その廿七日に任大臣の節會おこなはる。左大將經忠右大臣にならせ給ふ。內大臣冬敎左にうつりたまへば、右大將實衡內大臣になさる。又の日やがて右大臣殿大饗行ひ給へば、尊者には內大臣參り給ふ。近衞殿近頃は御惱みがちにてのみ臥し給へれど、今日の御悅にめづらしくいでゐさせ給へり。法皇は今は大覺寺殿にのみおはしませば、大炊御門式部卿のみこの御家を內大臣殿申しうけて、おなじ日大饗したまふ。尊者には右のおとゞ、やがて我が御家の大饗はつるまゝに、ひきつれてわたり給へり。あるじもまれ人も大將かねたまへば、隨身どもえならずけいめいして、かたみにけしきとりかはしたるいと面白し。あるじのおとゞ琵琶、右衞門督兼高篳篥、隆資朝臣笙、室町三位中將公春