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經定などぞ、上﨟の若き上達部にて、いかにもめづらしからむと世人も思へりしかど、家のやうとかや何とかやとて、たゞいつものまゝなり。公泰宰相中將劔璽の役つとめらる。櫻萠黃のうへのはかま、かばざくらの下がさね、山吹の浮織物のきぬ、紅のうちたるひとへを重ねられたり。白くまろく肥えたる人の眉いとふとくて、おいかけのはづれあなきよげと、たのもしくぞ見えられし。頭亮藤房樺櫻の下がさね、蘇芳の浮織物のきぬ、弟の職事季房も山吹の下がさね、くれなゐのきぬ、衞府のすけどもは、うちこみたれば見もわかず。別當左兵衞督資明、はしり下部とかやいふもの八人、太刀はみなしろがね延べたるにやと見ゆるに、鶴の丸をきにみがきたる、賴もしうきよげなり。舞人にもよき家の子どもをえらびとゝのへられたり。一の左に中院の前の大納言通顯の子通冬少將、まだいとちひさきに、童などもおなじ程なるを好みとゝのへて、いと淸らにいみじうしたてゝ、秦の久俊といふ御隨身をぞ具せられたる。右に久我の少將通宣いたくすぐしたるほどにて、ひげがちにねび給へるかたちして、小きに立ちならばれたる、いとたとしへなくぞ見えし。それよりつぎつぎは、むつかしさに忘れぬ。大將の隨身どもこそむかしの事はげには見ねばしらず。いとゆゝしくまことに花をおるとはこれにやとめでたうおもしろかりし。左大將殿の隨身は、赤地の錦の色も紋も目なれぬさまにこのましきを、情なきまでさながらだみて、ませに山吹を白がねにてうちものにして、ひしとつけたり。花の色かさなりなどまで、こまかにうつくし。露を水晶の玉にておきたる、朝日にかゞやきて、すべていみじうぞ見ゆる。西園寺の隨身もおなじ錦なれど、松を