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の下よりいづる遣水に、ちひさく渡されたるそりはしの左右に、兩大將ひざまづく。劔璽は權亮宰相中將公泰つとめられしにや、關白公卿の座の妻戶の御簾をもたげて、入れ奉らせたまふ。とばかりありて寢殿の母屋の御簾皆あげわたして、法皇いでさせたまへり。香染の御衣、おなじ色の御袈裟なり。御袈裟の箱御そばにおかる。內のうへ公卿の座より高欄をへたまふ。御供に關白さぶらひたまふ。階の間より出で給ひて、廂におまし奉りたれば、御拜したまふほど、西東の中門の廊に上達部おほくたちかさなりて、見やり奉る中に、內の御めのとの吉田の前大納言定房、まみいたうしぐれたるぞあはれに見ゆる。そのかみの事など思ひいづるに、めでたきよろこびの淚ならむかし。御拜をはりぬれば、又もとの道を經給ひて、公卿座に入らせ給ひぬ。法皇も內に入りたまひて、しばしありて左右の樂屋の調子とゝのほりてのち、又御門入らせ給ふ。法皇も同じ間の內に御しとねばかりにておはします。末のひさしに、內より參れる女房ども侍ふ。一の車に小大納言君〈師重の女〉、「うきも我が身」のとよみし人の妹の女なり。帥典侍〈資茂王女〉さぬき、こいまとかや、二の左〈如元〉に新兵衞、中宮內侍、後に准后と聞えにき。しりには夏引、いはねを、三の車に少將內侍、尾張內侍、しりに靑柳、今參りなど聞ゆ。上達部御前の座に着きてのち御だいまゐる。やくそう公泰宰相中將、陪膳右大將兼季、そのほど舞人ひざまづく。地下の舞はめなれたる事なれど、をりからにや、今日は殊におもゝちあしぶみもめでたく見ゆ。院の御おぼえにて、壽王といふ人、松殿のなにがしとかやが子なり、落蹲など舞ふと聞きしかど、夜もふけ雪もことにかきくらして、何のあやめも見えざりき。その後御