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部は簀子の高欄にせなかおしあてゝ、殿上人は庭にさぶらひあへるもいとえんなり。池の御舟さしよせて、左右の講師たかすけ爲冬のせらる。御みきなどまゐるさまも、うるはしきことよりは艷になまめかし。人々の歌いたくけしきばみて、とみにも奉らず。いと心もとなし。照る月なみもくもりなき池のかゞみに、いはねどしるき秋のもなかは、げにいと殊なる空のけしきに、月もかたぶきぬ。明方ちかうなりにけり。うへの御製、

  「鐘のおともかたぶく月にかこたれてをしと思ふ夜はこよひなりけり」

と講じあげたるほど、景陽の鐘もひゞきをそへたるをりからいみじうなむ。いづれもけしうはあらぬ歌ども多く聞えしかど、御製の鐘の音にまされるはなかりしにや。かくて今年もまたくれぬ。明くる春〈元享二〉正月三日朝覲の行幸あり。法皇は御弟の式部卿のみこの御家、大炊御門京極〈常磐井殿〉といふにぞおはします。內裏は二條萬里小路なれば、陣の中にて大臣以下かちより仕うまつらる。關白內經、太政大臣道雄、左大臣實泰、右大將兼季、左大將冬敎、中宮大夫實衡、中納言には具親、公敏、爲藤、顯實、經定、宰相には實任、冬定、公明、光忠、中將は公泰、資朝、殿上人は頭中將爲定、修理大夫冬方をはじめて、のこるはすくなし。この院も池のすまひ山の木だちもとよりよしあるさまなるに、時ならぬ花の木ずゑをさへ造りそへられたれば、春の盛にかはらず咲きこぼれたるに、雪さへいみじく降りてのこる常磐木もなし。洲崎にたてる鶴のけしきも、千代をこめたる霞の洞は、誠にやまびとの宮もかくやと見えたり。京極おもての棟門に御輿おさへて、院司事のよしをそうす。亂聲ののち中門に御輿をよす。中門