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大覺寺殿には、ひきかへ馬車の立ちこみたるを御覽じて、法皇よませたまひける。

  「我すめばさびしくもなし山里もあさまつりごとをこたらずして」。

今のうへは、はやうより西園寺の入道おとゞ實兼の末の御むすめ兼孝の大納言のひとつ御腹にものし給ふを、忍びてぬすみ御覽じて、わく方なき御おもひ、年にそへてやんごとなうおはしつれば、いつしか女御の宣旨などきこゆ。ほどもなくやがて八月に后だちあれば、入道殿もよはひのすゑに、いとかしこくめでたしとおぼす。北山にまかで給へる頃行幸ありき。八月十五日の夜、名をえたる月も殊に光をそへたる、所がらをりからおもしろく、めでたき事ども華やかなるに、御姉の永福門院より、今の后の御方へ御消息聞えたまふ。

  「こよひしも雲ゐの月もひかりそふ秋のみやまをおもひこそやれ」。

「御返しはまろ聞えむ」とのたまはせて、內のうへ、

  「むかし見し秋のみやまの月かげをおもひいでゝや思ひやるらむ」。

みかどのおなじ御腹の前齋宮も皇后宮にたゝせたまふ。御母准后も院號ありて、談てん門院とぞきこゆめる。よろづ華やかにめでたき事どもしげう聞ゆ。內には萬里小路大納言入道師重といひしが女、大納言の典侍とていみじう時めく人あるを、堀川春宮の權大夫ともちかの君、いと忍びて見そめられけるにや、かの女かきけちうせぬとて、もとめたづねさせ給ふ。二三日こそあれ。ほどなくその人とあらはれぬれば、うへいとあさましくにくしとおぼす。やんごとなききはにはあらねど、御おぼえの時なれば、きびしく咎めさせ給ひて、げに須磨の