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さまし。さて拍子俄にこと人うけたまはる。大事どもはてゝ後尋ねさたある程に、かい川の三位顯香といふひと、この拍子をいどみて、我こそつとむべけれと思ひければ、かゝる事をせさせけり。道にすけるほどはやさしけれども、いとむくつけし。さてかの三位はながされぬ。かくて今年はくれぬ。まことやこたみの春宮には、後二條院の一の御子定り給ひぬれば、御門坊にておはしましゝ時のまゝに、冷泉萬里小路殿寢殿にうつりすませ給へるに、きさらぎの頃軒ばの櫻〈梅イ〉さかりにをかしき夕ばえを御覽じて、內に奉らせ給ふ。かの花につけて、
「なれにける花は心やうつすらむおなじのきばの春にあへども」。
御返しは南殿の櫻にさしかへたまふ。
「花はげに思ひいづらむ春をへてあかぬ色香にそめしこゝろを」。
おりゐの御門は、御このかみの本院とひとつ持明院殿にすませ給ふ。もとより御子のよしにておはしませば、まいてひとつ院の內にて、いさゝかもへだてなく聞えさせ給ふ。いと思ふやうなる御ありさまなり。さるべき御中といへども、昔も今も御腹などかはりぬるはいかにぞや。そはそはしき事もうちまじり、くせあるならひにこそあるを、この院の御あはひまめやかにおもほしかはしたるいとありがたうめでたし。本院は廣義門院の御腹の一の御子を、この度の坊にやとおぼされしかど、ひき過ぎぬれば、いとはるけかるべき世にこそと、さうざうしくおぼさるべし。御歌合のついでなりしにや、
「いろいろに都は春のときにあへどわがすむ山は花もひらけず」。