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る。御手もいとめでたく、「むかしの行成大納言にもまさり給へる」など時の人申しけり。やさしうも强うも書かせおはしましけるとかや。正和も二とせになりぬ。今年御本意遂げなむとおぼさる。なが月の暮つかた賀茂に忍びて御籠のほど、をかしきさまの事ども侍りけり。近くさぶらふ女房どもゝうちしほたれつゝ、つごもりがたの空のけしきいとものあはれなるに、御製、

  「なが月や木のはもいまだつれなきにしぐれぬ袖の色やかはらむ」。

また、

  「我が身こそあらずなるとも秋のくれをしむ心はいつもかはらじ」。

人々もさとしぐれわたり、袖のうへ今日かぎりの秋のなごりよりもしのびがたし。大納言爲子、〈撰者のはらからなり。〉

  「一すぢに暮れゆく秋ををしまばやあらぬなごりを思ひそへずて」。

又たれにか〈四字院イ〉

  「いかにしたひいかにをしまむ年々の秋にはまさる秋のなごりを」。

十月十五日、伏見殿へ御幸あり。かぎりのたびとおぼせばえもいはず引きつくろはる。ひさしの御車なり。上達部殿上人數しらず仕うまつり給ふ。世の政事なども新院にゆづり奉らせ給ひにしかば、御心しづかにのみ思されて、伏見殿がちにのみぞおはしましゝ程に、そこはかとなく御惱み月日へて文保元年九月三日かくれさせ給ひにき。伏見の院と申しき。御母玄