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なく廿五日子の時ばかりにはてさせ給ひぬ。火の消えぬるさまにて、かきくれたる雲のうへのけしきいはずともおしはかられなむ。まことや中宮は德大寺の公孝のおほきおとゞの御むすめぞかし。めづらしくかの御家にかゝる事のいたくなかりつるに、御おぼえもめでたくてさぶらひ給へるに、あさましともいはむ方なし。廿八日にまかで給ふ。先帝の御わざのさたあり。院號ありて後二條院とぞ聞ゆる。堀川右大將具守御車よせらる。心のうちいかばかりかおはしけむ。大將になり給へるもこの御門の西花門院むつましうも仕うまつり給へるにいとほしき御事なり。御素服を着給はざりしをぞ思はずなる事に世の人もいひさたしける。內侍のかんの君もさまかはり給ふ。中宮も院號ありて長樂門院ときこゆ。よろづ哀なることのみ書きつくしがたし。春宮は正親町殿へ行啓なりて劍璽わたさる。八月廿六日踐祚なり。十二にぞならせ給ふ。夢のうちの心ちしつゝもほどなくすぎうつる。御日數さへはてぬれば盡きせぬあはれさむるよなけれど、人々もおのがちりぢりになる程今一しほたへ難げなり。持明院殿にはいつしかめでたき事どものみぞ聞ゆる。大覺寺殿には遊義門院の御事にうちそへて御淚のひる世なく思さるべし。帥のみこの御事をあづまへのたまひ遣したる、相違なしとて九月十九日立太子の節會ありて坊に居給ひぬ。今はと世をとぢむる心ちしつる人々少しなぐさみぬべし。その年十月大なりつるを、保元の例とかやとて十一月朔日に宣下せられたり。あたらしき御代にあたりて月日さへ改まりにけり。十一月十一日御即位あり。攝政は後昭念院殿冬平、今日御悅申ありてやがて行幸に參り給ふ。あるべきかぎりの事ども