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  「契りこし心のすゑはしらねどもこのひとことやかはらざるらむ」。

露霜かさなりて程なく德治二年にもなりぬ。遊義門院そこはかとなく御惱みと聞えしかば、院のおぼしさわぐ事かぎりなし。萬に御祈祭祓とのゝしりしかどかひなき御事にていとあさましくあへなし。院もそれゆゑ御ぐしおろしてひたぶるに聖にぞならせ給ひぬる。そのほどさまざまのあはれ思ひやるべし。悲しき事どもおほかりしかどみなもらしつ。明くる年の春八幡の御幸の御歸りざまに、東寺に三七日おはしまして御灌頂の御けぎやうとぞ聞ゆる。仁和寺の禪助僧正を御師範にてかの寬平の昔をやおぼすらむ、密宗をぞ學せさせ給ひける。六月には龜山殿にて御如法經かゝせ給ふ。御ぐしおろし給ひて後は大方女房は仕うまつらず。男ぞおりて御臺などもまゐらせ萬に仕うまつる。いつも御持齋にておはします。いとあり難き善智識にてぞ故女院はおはしましける。嵯峨の今林殿にて御佛事なども日々に怠らずせさせ給ふ。この今林は北山の准后の坐せし跡なり。遊義門院の御ぐしにて梵字ぬはせ給へり。かの御手のうらに法華經一字三體に書かせ給ひて攝取院にて供養せらる。大覺寺の覺守僧正御導師なり。故女院の御骨も今林に法華堂建てられておき奉らせ給へれば、月ごとの廿四日には必ず御幸あり。おぼし入りたる程いみじかりき。かくて八月の初つかたより內のうへ例ならずおはしますとて樣々の御修法、五壇、藥師、愛染いろいろの祕法ども諸社の奉幣神馬、何かとのゝしり騷ぎつれど、むげにふかくにならせ給ひて廿三日御氣色かはるとて世のひゞきいはむ方なく、馬車はしりちがひ所もなきまで人々は參りこみたれど、いとかひ