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院はあまたの宮だちの御中にすぐれてかなしきものに思ひ聞えさせ給ひしかば、御そうぶんなどもいとこちたし。大井河にむかひて離れたる院のあるをぞ奉らせ給へれば、そこにおはしましゝほどに川ばたどのゝ女院など人は申し侍りし。かの所は臨川寺とぞいふめる。都にも土御門室町にありし院、いづれもこの頃は寺になりて侍るめりとぞ、めでたくこそあはれなれ。

     第十四 うら千鳥

院のうへは御位におはせしほどはなかなかさるべき女御更衣もさぶらひ給はざりしかど、おりさせ給ひてのちは御心のまゝにいとよく紛れさせ給ふほどに、この程はいどみがほなる御方々かずそひ給ひぬれど、猶遊義門院の御志にたちならび給ふ人はをさをさなし。中務の宮の御むすめもおしなべたらぬさまにもてなし聞え給ふ。すぐれたる御おぼえにはあらねど、御姉宮の故院にわたらせ給ひしよりはいと重々しうおぼしめしかしづきて後には院號ありき。永嘉門院と申し侍りし御事なり。又一條攝政殿の姬君も當代堀川のおとゞの家にわたらせ給ひし頃、上らうに十六にて參り給ひて初つかたはもとゝしの大納言疎からぬ御中にておはせしかば、かの大納言のあづまくだりの後院に參り給ひし程に、ことの外にめでたくて內侍のかみになり給へるむかしおぼえておもしろし。加階したまへりし朝、院より、

  「そのかみにたのめしことのたがはねばなべてむかしの世にやかへらむ」。

御返し、內侍のかんの君頊子とぞきこゆめりし。