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又の年春の頃より東二條院御惱み日々におもり給ひて今はと見えさせ給へば伏見殿へいでさせ給ひて遂にうせさせ給ひぬ。七十にあまらせ給へばことわりの御事なり。法皇もその御なげきの後、をさをさ物聞しめさずなどありしをはじめにて、うち續き心よからず御わらはやみなど聞ゆる程に七月十六日二條富小路殿にてかくれさせ給ひぬ。六十二にぞならせ給ひける。いとあはれに悲しき事どもいへばさらなり。御孫の春宮もひとつにおはしましつれば急ぎて外へ行啓なりぬ。御修法の壇どもこぼこぼと毀ちて、くづれいづる法師ばらの氣色まで今をかぎりととぢめはつる世のありさまいとかなし。宵過ぐるほどに六波羅の貞顯憲時二人御とぶらひに參れり。京極おもての門の前に床子にしりかけてさぶらふ。隨ふものども左右になみゐたるさまいとよそほしげなり。又の日夜に入りて深草殿へいでわたし奉る。御車さしよせて御くわん乘せ奉るほど、うちどよみあひたるいとことわりに心をさむる人もなし。院の御まへ宮たちなどわらぐつとかやいふもの奉りて門まで御送つかまつらせ給ひて、とみにもえのぼらせ給はず、御直衣の袖をおしあてゝ遙に程經てぞ御車にたてまつりて伏見殿への御おくりもせさせ給ひける。院のうちゆゝしきまでなきあへり。後深草院とぞきこゆる。御日數のほどは伏見殿に宮だち遊義門院などおはします。秋さへふかくなり行くまゝによとともの御淚ひる間なくおぼしまどふ。遊義門院、

  「物をのみ思ひねざめにつくづくとみるもかなしきともし火の色。

   春きてしかすみのころもほさぬまにこゝろもくるゝ秋ぎりの空」。