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たる。うへは中宮の御方に渡らせ給ひければ對の屋へ忍びて逃げさせ給ひて、春日殿へ女房のやうにていと怪しきさまを造りて入らせ給ふ。內侍劔璽を取りていづ。女孺は玄象鈴鹿とりて逃げゝり。春宮をば中宮の御方の按察殿抱きまゐらせて常磐井殿へかちにて逃ぐ。その程の心の中どもいはむ方なし。この男をば淺原のなにがしといひけり。辛くして夜のおとゞへ尋ね參りたれども大かた人もなし。中宮の御方の侍のをさ景政といふもの名のり參りて、いみじく戰ひ防ぎければ、疵かうぶりなどしてひしめく。かゝる程に二條京極のかゞりやびんごの守とかや五十餘騎にて馳せ參りて鬨をつくるに、合する聲僅に聞えければ心やすくて內に參る。御殿どもの格子ひきかなぐりて亂れ入るに、かなはじと思ひて夜のおとゞの御しとねのうへにて淺原自害しぬ。太郞なりけるをのこは南殿の御帳の中にて自害しぬ。おとゝの八郞といひて十九になりけるは大ゆかの椽の下にふして寄るものゝ足をきりきりしけれども、さすがあまたして搦めむとすればかなはで自害するとても膓をば皆繰りいだして手にぞもたりける。そのまゝながらいづれをも六波羅へかき續けて出だしけり。ほのぼのと明くる程に、內、春宮御車にて忍びて歸らせ給ひて、晝つかたぞ又更に春日殿へなる。大方雲の上けがれぬればいかゞにて中宮のひの御座へ腰輿よせて兵衞の陣よりいでさせ給ふ。春宮は絲毛の御車にて又常磐井殿へ渡らせ給ふ。中宮も春日殿へ行啓なる。世の中ゆすり騷ぐさまことの葉もなし。この事次第に六波羅にて尋ね沙汰する程に三條の宰相中將實盛も召しとられぬ。三條の家に傳はりて鯰尾とかやいふ刀のありけるを、この中將日頃もたれたり