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子をもてまゐる、次第にとりつぎてまゐらす。かねの御ごき、しろがねの片口の御銚子、一條殿御陪膳、その後女御殿も御銚子にてかけさせ給ふ事侍りけり。今宵二位殿今出河へまかで給うて車の宣旨ゆりたまふ。御おくりには御子の公衡の中納言、御甥の通重の左衞門督など殿上人どもあまたなり。縫殿の陣より出で給ふけしきいとよそほし。まことや御入內の夜の御使勾當の內侍まゐれりし祿に、うはぎ唐衣をたまはる。御せうそこの御使にまゐれりしうへ人も女の裝束かづきながら歸り參りて殿上の口におとしすつ。とのもりつかさぞとるならひなりける。後朝の御使には公貫中將なりし、公衡の中納言對面してけん盃の後これも女の裝束かづけらる。かくて八月二十日后に立ち給ふ。かねてより今出川の御家へまかで給ひて、節會の儀式ひきうつし待ちとり給ふさまいとめでたく今さらならぬ事なれど、父の殿もつひの御位はさこそなれど、只今さしあたりてはいまだ淺くおはするに、すがやかに后妃の位に定り給ふ事かぎりなき御世のおぼえとめでたく見ゆ。大宮院、本院、東二條院皆わたりおはしまして見奉り給ふさへぞやんごとなき。今日は紅のはり、ひとへがさね、ひへぎ、をみなへしのうはぎ、二藍の唐衣、薄色の裳、すべて二十人おなじ色のよそひなり。この外いぎの女房八人、白きはり一重がさね、濃きひへぎ、おなじはかま、女郞花の衣にてさぶらふ。いづれとなくかたちども淸げにめやすし。その年の十一月八日ぞ后の宮の御父右大將になり給ひぬる。おなじき廿五日正二位したまふ。この程は大甞會五節などのゝしる。さきの御世にはひきかへて中宮、皇后宮、院たちあかれあかれに多くおはしませば殿上人ども推參の所お