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もなるべし。わらはしもづかへ御ざうしはしたものに至るまで髮かたちめやすく、おやうち具し、少しもかたほなるなくとゝのへられたり。その暮つかた。頭中將爲兼朝臣御消息もてまゐれり。內のうへみづからあそばしけり。

  「雲のうへに千代をめぐらむはじめとてけふの日かげもかくや久しき」。

紅の薄樣、おなじ薄樣にぞつゝまれためる。關白殿つゝむやう知らずとかやのたまひけるとて、花山に「心えたる」と聞かせ給ひければ「つかはして包ませられける」とぞ承りし」」とかたるに、又此具したる女「「いつぞやは御使實敎の中將とこそは語り給ひしか」」といふ「「女御のよそひは蘇芳のはり一重がさね、濃き裏のひへぎ、濃き蘇芳の御うはぎ、赤色の御唐衣、濃き御はかま地摺の御裳奉る。女房のよそひおしなべて皆蘇芳のはり一重がさね紅のひへぎ、濃き袴、蘇芳のうはぎ、靑朽葉の唐衣、薄色の裳、三重だすき、上下同じさまなり。まゐり給ひぬれば、藏人左衞門權佐俊光うけたまはりて手ぐるまのせんじあり。殿上人參りて御車にひき入る。御せうとの中納言公衡別當かね給へり。うへの御甥の左衞門督通重御せうとになずらふるよし聞ゆれば御屛風御几帳たてらる。日の御座へ御車よせらる。御襖二位殿參らせ給ふ。御だいまゐりて夜のおとゞへまうのぼり給ふ。この御襖は、京極院のめでたかりし例とかや聞えて、公守の大納言沙汰し申されけるとかや承りしはまことにや侍りけむ。三ケ夜のもちひもやがてかの大納言沙汰し申さる。內の上の夜のおとゞへ召して、入らせ給ひたる御さうがいをば二位殿とりて出でさせ給ひて、大納言殿と二人の御中に抱きて寢給ふと聞えし。さ