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うとの公守の大納言の姬君もをさなくよりかしづきて侍ひ給ふ。それもよそならぬ御契なるべし。この君をぞ父の殿もいとうるはしきさまにても參らせまほしうおぼしつれど、西園寺の大納言實兼の姬君いつしか參り給へばきしろふべきにもあらず。その年六月二日入內あり。その夜まづ御もぎしたまふ。「さきの御代にもあらましは聞えしかど、いかなるにかさもおはせざりしに、いつしかかうもありけるは猶おぼす心ありけるなめり」とうちつけにひがひがしういひなす人も侍りける。この姬君の母北の方は三條坊門通成の內のおとゞのむすめなり。さぶらふ人々もおしなべたらぬかぎりえりとゝのへ、いみじう淸らにとおぼしいそぐ。よろづ人の心も昨日に今日はまさりのみゆくめれば、いやめづらにこのましうめでたし。大かた大宮院の御まゐりの例をおぼしなずらふべし。院の御子にこれも又なり給ふとて東二條院御こしいはせ給ひて時なりぬれば唐廂の御車にたてまつりて上達部十人、殿上人十餘人、本所の前驅二十人、つい松ともして御車の左右にさぶらふ。出車十輛、一の左に母北の方の御妹一條殿、右に二條殿、實顯の宰相中將のむすめを大納言子にし給ふとぞ聞えし。二車、左に久我大納言雅忠のむすめ三條とつき給ふをいとからい事に歎き給へど、皆人先だちてつき給へれば、あきたるまゝとぞ慰められ給ひける。右に近衞殿、源大納言雅家の女なり。三の左には大納言の君、室町の宰相中將公重のむすめ、右に新大納言、おなじ三位兼行とかやの女なり、四の左には宰相の君、坊門の三位基輔のむすめ、右は治部卿かねともの三位のむすめなり。それより下は例のむつかしくてなむ。多くは本所のけいし何くれがむすめど