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衣着たまへり。笏に歌をもち具したまふ。內のうへの御歌は殿ぞかき給ひける。

  「行く末をなほながき世と契るかなやよひにうつるけふの春日に」

新院の御製は內大臣かきたまふ。

  「百色といまや鳴くらむうぐひすもこゝのかへりの君がはるへて」。

春宮のは左大將にかゝせらる。

  「かぎりなきよはひはいまだ九十なほ千世とほき春にもあるかな」。

製に應ずと上文字載せられたるも內宴のためしとかや。次々例のおほけれどむづかしくてもらしつ。春宮大夫こそいとうけばりてめでたく侍りしか。

  「代々の跡になほ立ちのぼる老の波よりけむ年はけふのためかも」。

その後東向のまりのかゝりある方へ渡らせ給ふ。御方々の女房いろいろのきぬ、昨日には引きかへてめづらしき袖口を思ひ思ひにおしいでたり。紫のにほひの山吹、あをにほひの薄紅梅、櫻萠黃などは女院の御あかれ、內の御方は內侍典侍よりしも皆松襲しろかうし、うら山吹、院の御方えびぞめにしろすぢ、かばざくらの靑すぢ、春宮の女房うへ紫かうし柳などさまざまにめもあやなる淸らを盡されたり。おなじ文も色もまじらず、こゝろごゝろにかはりていみじうぞ侍りける。後嵯峨院、蓮華王院御幸ありし時、兩貫首おなじやうに藤の下重山吹のうへの袴なりしをばいと念なき事に世の人もいひ侍りしにや、御方々の女房ども、八十餘人おしこみてさぶらはるゝ、いづれともなく目うつりしていみじうかたちもけしきもめ