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ける程に、弘安八年二月ばかり若宮いでものし給へり。いとやんごとなき御宿世なるべし。今年北山の准后九十にみち給へば御賀の事大宮院おぼしいそぐ。世の大事にて天下かしがましくひゞきあひたり。かくのゝしるは安元の御賀に靑海波舞ひたりし隆房大納言の孫なめり。鷲尾の大納言隆衡のむすめぞかし。大宮院東二條院の御母なれば兩院の御祖母おほきおとゞの北の方にて天の下皆このにほひならぬ人はなし。いとやんごとなかりける御さいはひなり。むかし御堂殿の北の方鷹司殿と聞えしにも劣り給はず、大方この大宮院の御宿世いとありがたくおはします。すべていにしへより今まで后國母おほく過ぎ給ひぬれど、かくばかりとり集めいみじきためしはいまだ聞き及び侍らず。御位のはじめより選ばれまゐり給ひて、爭ひきじろふ人もなく、三千の寵愛一人にをさめ給ふ。兩院うちつゞきいでものし給へり。いづれもたひらかに思ひのごとく二代の國母にて今は既に御うまごの位をさへ見給ふまで、聊も御心にあはずおぼしむすぼるゝ一ふしもなく、めでたくおはしますさまきし方もたぐひなく行く末にも稀にやあらむ。いにしへの基經のおとゞの御むすめ、延喜の御代の大后宮、ことにかなしうし給ひし前坊におくれ聞え給ひて、御命の中はたへぬ御歎つきせざりき。九條のおとゞ〈師輔〉の御むすめ、天曆の后にておはせし、冷泉、圓融兩代の御母なりしかど、めでたき御代をも見奉り給はず御門にも先だち給ひてうせ給ひにき。御堂の御むすめ上東門院、後一條、後朱雀の御母にて御孫後冷泉、後三條まで見奉り給ひしかども皆先立たせ給ひしかばさかさまの御歎絕ゆる世なく、御命あまりながくて中々人目をはづる思ひ深く