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たぐひなく美くしうおはしまして「人の國より女の本を尋ねむにはこの宮の似せ繪をやらむ」などぞ父の御門もおほせられける。御めのと隆行の家におはしましける程に、御めのと子隆やすしのびて參りける故にあさましき御事さへいできて、これも御うみながしにて俄にうせさせ給ひにけりとぞ聞えし。その頃蒙古おこるとかやいひて世の中騷ぎたちぬ。色々さまざまに恐しう聞ゆれば、「本院新院はあづまへ御下りあるべし。內春宮は京に渡らせ給ひて東の武士ども上りさふらふべし」など沙汰ありて山々寺々御いのりかずしらず。伊勢の勅使に經任大納言まゐる。新院も八幡へ御幸なりて西大寺の長老召されて眞讀の大般若供養せらる。大神宮へ御願に我が御代にしもかゝる亂出できて、まことにこの日本のそこなはるべくは御命をめすべきよし御手づから書かせ給ひけるを、大宮院いとあさましき事なりと猶諫め聞えさせ給ふぞことわりにあはれなる。あづまにもいひしらぬ祈どもこちたくのゝしる。故院の御代にも御賀の試樂の頃かゝる事ありしかど程なくこそしづまりにしを、この度はいとにがにがしう牒狀とかやもちて參れる人などありて、わづらはしう聞ゆれば、上下思ひ惑ふ事限りなし。されども七月一日おびたゞしき大風吹きて、異國の船六萬艘兵乘りて筑紫へよりたる皆吹き破られぬれば、あるは水に沈み、おのづから殘れるもなくなく本國へ歸りにけり。石淸水の社にて大般若供養說法いみじかりける刻限に、晴れたる空に黑雲一むら俄に見えてたなびく。かの雲の中より白き羽にてはぎたるかぶら矢の大なる西をさして飛び出でゝ鳴る音おびたゞしかりければ、かしこには大風の吹きくると兵の耳には聞えて、