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しむばかり思へり。故鷹司殿の大殿も參り給ふべしと聞えけるを、御物忌とてとまり給へれば五葉の枝ににつけて奏せられける、

  「伏見山いくよろづ代も枝そへてさかえむ松のすゑぞ久しき」。

御かへし、

  「さかふべきほどぞ久しき伏見山おひそふ松の枝をつらねて」。

又の日は伏見の津にいでさせ給ひて鵜舟御らんじ、白拍子御船にめし入れて歌うたはせなどせさせ給ふ。二三日おはしませば、兩院の家司共我おとらじといかめしき事ども調じてまゐらせあへる中に、やまもゝの二位兼行、ひわりごどもの心ばせありて仕うまつれるに雲雀といふ小鳥を萩の枝につけたり。源氏の松風の卷を思へるにやありけむ、爲兼朝臣を召して本院「かれはいかゞ見る」と仰せらるれば「いと心え侍らず」とぞ申しける。まことに定家の中納言入道が書きて侍る源氏の本には萩とは見え侍らぬとぞうけたまはりし。かやうに御申いとよくて、はかなき御遊わざなどもいどましきさまに聞えかはし給ふを、めやすき事になべて世の人も思ひ申しけり。ある時は御小弓射させ給ひて「御負わざには院の內にさぶらふかぎりの女房を見せさせ給へ」と新院のたまひければ、童の鞠蹴たるよしをつゞりなして、女房どもに水干着せて出だされたる事も侍りけり。新院の御のり物には龜山殿にて五節のまねに舞姬童下仕までになされけり。上達部直衣にきぬ出して露臺の亂舞、御前のめし、北の陣推參まで盡され侍りとぞ承りし。この御代にもまた勅撰のさたをとゝしばかりより