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ける。しばしこの院にわたらせ給へば人々たえず參り集ふ。西園寺の殿ばらなども日ごとに參りたまふ。御壺わかたせ給ひて前栽合ありしにもをかしうめづらしき事ども多かりき。なにがしの朝臣の槇の島のけしきを造りて侍りけるを、平大納言經親いまだ下﨟にて兵衞佐などいひける程にや、その宇治川の橋をぬすみてわがつくろひたるかたに渡して侍りける、いとおそろしく心がしこくぞ侍りける。例の五月のくうげ、やがてうち續きければ女院たち宮々など夜の御時に閼伽奉らせ給へば、御堂のかをりみやうがうの香も外には多くまさりていとしみふかうなまめかしう面白し。大かたいづれも年に二たびはむかしよりの事にて、いみじうけいめいし給へば、世の人のなびき仕うまつるさまかぎりなし。日に二たび院いいで居させ給ふに、關白大臣以下やんごとなき人々絕えずさぶらひ給ふ。大中納言、二位三位、非參議、四位五位などはましてかずしらず。すべて前の司の人の道などもまゐる事なれば、時ならぬ院の御前ともなくいみじう華やかにおもしろうたふとし。昔の後二條關白師道と聞えしは、おりゐの御門の門に車の立つべき事なしとそしり給ひけるに、今の世を見給はゞと思ひ出でらる。九月の供花には新院さへわたりものし給へば、いよいよ女房の袖口心ことに用意くはへ給ふ。御花はつれば兩院ひとつ御車にて伏見殿へ御幸なる。秋山の景色御らんぜさせむとなりけり。上達部殿上人かなたこなたおしあはせていろいろの狩衣すがた菊紅葉こきまぜてうちむれたる、見所おほかるべし。野山のけしき色づきわたるに伏見山田面につゞく宇治の川浪、はるばると見わたされたるほどいとえんなるを、若き人々などは身に