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さらにやは」とて長押の下へひきさげさせ給ふ程に、本院いでたまひて「朱雀院の行幸にはあるじの座をこそなほされ侍りけるに、今日の御幸には御座をおろさるゝいとことやうに侍り」など聞え給ふほどいとおもしろし。うべうべしき御物語はすこしにて花の興にうつりぬ。御かはらけなどよきほどの後、春宮〈伏見殿〉おはしまして、かゞりの下に皆立ちいで給ふ。兩院春宮たゝせ給ふ。中半過ぐる程に、まらう人の院のぼり給ひて御したうづなどなほさるゝほどに、女房別當の君、また上﨟だつ久我のおほきおとゞのうまごとかや、かば櫻の七紅のうちきぬ、山吹のうはぎ、赤色の唐衣、すゞしの袴にて、しろがねのさかづきやないばこにすゑて同じひさげにて柿ひたしまゐらすればはかなき御たはぶれなどのたまふ。暮れかゝる程風少しうち吹きて花もみだりがはしく散りまがふに、御鞠數多くあがる、人々の心ちいとえんなり。ゆゑある木陰に立ち休らひ給へる院の御かたちいと淸らにめでたし。春宮もいと若ううつくしげにて、濃き紫の浮織物の御指貫、なよびかにけしきばかり引きあげ給へれば、花の絲白く散りかゝりてもんのやうに見えたるもをかし。御覽じあげて一枝おしをり給へるほど繪に書かまほしき夕ばえどもなり。その後も御みきなどらうがはしきまできこしめしさうどきつゝ、夜ふけて歸らせたまふ。六條殿の長講堂も燒けにしを造られて、その頃御わたましし給ふ。う月のはじめつかたより院のうへひさしの御車にて上達部殿上人御隨身えもいはずきよらなり。女院の御車に姬宮もたてまつる。出車あまた皆白きあはせの五つぎぬ、濃き袴おなじひとへにて、三日過ぎてぞいろいろの衣ども藤躑躅撫子など着かへられ