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の院に召し渡されて、花山院のおほきおとゞの御子になされ、廊の御方とぞつけさせ給ふ。その御腹にも宮生れ給ひぬ。大宮女院に讃岐とて侍らひしは西園寺の御家のもの景房といひしが女なりしを、いみじうおぼいてこれも召しとりて、西園寺おとゞの御子になして二品の加階たまはる。若宮うまれ給ひにき。帥の中納言爲經のむすめの帥典侍どのといひしが御腹にもあまた生れ給ふ。九條殿の北政所、又梨本、靑蓮院法親王など大納言典侍の御腹照慶門院は中納言典侍、十樂院慈道法親王は帥典侍殿の腹、かやうにすべて多くものし給ふ。昔の嵯峨天皇こそ八十餘人まで御子も給へりけると承り傳へたるにもほとほと劣り給ふまじかめり。內にはなかなか女御更衣もさぶらひ給はず、いとさうざうしき雲のうへなり。「西園寺女御參り給ふべしと聞えながらいかなるにかすがすがともおぼしたゝぬは思ふ心おはするなめり」とぞ世の人もさゞめきける。新院の御位の時參り給へりし西園寺の中宮は院號ありて今出川ときこゆなり。「かの御おぼえなどのいと口をしかりしより、この院の御方ざまをつらく思ひ聞え給ふなめり」などぞいひなす人も侍りけるとぞ。やよひの末つかた、持明院殿の花ざかりに新院渡り給ふ。鞠のかゝり御覽ぜむとなりければ、御まへの花は梢も庭もさかりなるによその櫻をさへ召してちらしそへられたり。いとふかう積りたる花の白雪跡つけがたう見ゆ。上達部殿上人いと多く參りあつまり、御隨身北面の下﨟などいみじうきらめきて侍ひあへり。わざとならぬ袖口どもおし出だされて心ことに引きつくろはる。寢殿の母屋におまし對座に設けられたるを新院入らせ給ひて「故院の御時定めおかれしうへは今