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からぬ御本性なりや。なにがしの大納言のむすめ御身近くめしつかふ人、かの齋宮にもさるべきゆかりありてむつましく參り馴るゝを召しよせて「なれなれしきまでは思ひよらず、唯少しけぢかきほどにて思ふ心のかたはしを聞えむ。かくをりよき事もいと難かるべし」とせちにまめだちてのたまへば、いかゞたばかりけむ、夢現ともなく近づき聞えさせ給へれば、いと心うしとおぼせど、あえかに消えまどひなどはし給はず、らうたくなよなよとしてあはれなる御けはひなり。鳥もしばしばおどろかすに心あわだゝしう、さすがに人の御名のいとほしければ夜深くまぎれいで給ひぬ。日たくるほどに大殿籠りおきて御文たてまつり給ふ。うはべは唯大かたなるやうにて、習はぬ御旅寢もいかになどやうにすくよかに見せて、中にちひさく、

  「夢とだにさだかにもなきかりふしの草のまくらに露ぞこぼるゝ」。

いとつれなき御氣色の聞えむ方なさにこそあめる〈如元〉。惱ましとて御覽じもいれず、しひて聞えむもうたてあれば、なだらかにもかくしてをこたらせたまへなど聞えしらすべし。さて御方々御臺など參りて、晝つかた又御對面どもあり。宮はいと耻かしうわりなくおぼされて、いかで見え奉らむずらむとおぼしやすらへど、女院などの御氣色のいとなつかしきに聞えかへさひ給ふべきやうもなければ、たゞ大どかにておはす。今日は院の御けいめいにて善勝寺大納言隆顯ひわりごやうのもの色々にいと淸らに調じてまゐらせたり。三めぐりばかりはおのおのべちにまゐる。「その後あまりあいなう侍ればかたじけなけれど昔ざまにおぼし