Page:Kokubun taikan 07.pdf/63

提供:Wikisource
このページは検証済みです

ば、よべの御消息委しく申させ給ふに、さらなりや、おろかにおぼしめさむやは。おしておろし奉らむこと憚り思し召しつるに、かゝる事の出で來ぬる御喜なほつきせず。まづいみじかりける大宮の御宿世かなとおぼしめす。民部卿殿に申し合せさせ給へば、「唯疾く疾くせさせ給ふべきなり。何かよき日もとらせ給ふ。少しも延びばおぼしかへして、さらでありなむとあらむをばいかゞはせさせ給はむ」と申させ給へば、さる事とおぼして御こよみ御覽ずるに、今日もあしき日にもあらざりけり。やがて關白殿も參らせ給へるほどに、「疾く疾く」とそゝのかし申させ給ふ。「まづいかにも大宮に申してこそは」とて內におはしますほどなれば參らせ給ひて、かくなむと聞かせ奉らせ給へば、まして女の御心はいかゞは思し召されけむ。それよりぞ春宮に參らせ給ふ。かう申す事は寬仁元年八月六日の事なり。御子どもの殿ばら、又例も御供に參り給ふ上達部殿上人ひき具せさせ給へれば、いとこちたくひゞきことにておはしますを、待ちつけさせ給へる宮の御心ちはさりとも少しすゞろはしう思し召されけむかし。心もしらぬ人は露參りよる人だになきに、昨日二位中納言殿の參り給へりしだに怪しと思ふに、又今日かくおびたゞしく賀茂詣などのやうに御さきの音もおどろおどろしう響きて參らせ給へるをいかなる事ぞとあきるゝに、少しよろしき程のものは、みくしげ殿の御事申させ給ふになめりと思ふは、さも似つかはしや。むげに思ひやりなききはのものは、又我が心にかゝるまゝに、內のいかにおはしますぞなどまで心さわぎしあへりけるこそあさましうゆゝしけれ。母の宮だにも知らせ給はざりけり。かくこの御方に物さわがしきを