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給ふにうちそへていみじとおぼす。公宗の中納言もかひなき物思ひのつもりにやはかなくなり給ひぬ。又この中納言さへかくものし給ひぬるをさまざまにつけて心ぼそくおぼすに、いく程なく皇后宮さへまたうせ給ひぬ。いよいよ臥し沈みておはするほどにいとよわうなりまさり給ふ。春宮の御代をもえ待ちいづまじきなめりと哀に心ぼそうおぼしつゞけて、

  「はかなくもをふのうらなし君が代にならばと身をもたのみけるかな」。

歎に堪へず遂にうせ給ひにけり。物思ひにはげに命も盡くるわざなりけり。哀に悲しといひつゝも、とまらぬ月日なれば故院の御日數もほどなう過ぎ給ひぬ。世の中は新院かくておはしませば、法皇の御かはりに引きうつしてさぞあらむと世の人も思ひ聞えけるに、當代の御ひとつすぢにてあるべきさまの御おきてなりけり。長講堂領、又播磨の國尾張の熱田の社などをぞ御そぶんありける。いづれの年なりしにか新院六條殿にわたらせ給ひし頃、祇園の神輿たがひの行幸ありし時、御對面のやうを故院へ尋ね申されたりしにも「我とひとしかるべき御事なれば朝覲になぞらへらるべし」と申されけり。ひとつ腹の御このかみにてもおはします。かたがたことわりなるべき世を、思ひの外にもと思ふ人々もおほかるべし。いでや位におはしますにつきてさしあたりの御政事などはことわりなり。新院にも若宮おはしませば行く末の一ふしはなどかはなどいひしろふ。かゝればいつしか院方、內方と人のこゝろごゝろも引き別るゝやうにうちつけ事どもいできけり。人ひとりおはしまさぬ跡はいみじきものにぞありける。朝の御まもりとて田村の將軍より傳はりまゐりける御はかしなどを