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し。中務の御子「今日のたもとさぞしぐるらむ」とのたまひし御返し、中將、

  「袖ぬらす今日をいつかとおもふにもしぐれてつらき神無月かな」。

やがてその夜御ぐしおろし給ひぬ。御戒の師には靑蓮院の法親王參りたまふ。その頃やがて御逆修はじめさせ給へば、そのほど女院いろいろの御捧物ども奉り給ふ。今はいよいよ法の道をのみもてなさせ給ひつゝ、或時は止觀の談義、或時は眞言のふかきさた、淨土の宗旨などをも尋ねさせ給ひつゝ、よろづに御心通ひくらからず物し給へば、何事もさきの世よりかしこくおはしましける程顯れて、今行く末もげに賴もしくめでたき御ありさまなり。かくて今年もくれぬ。又の年やよひのついたち月花門院俄にかくれさせ給ひぬ。法皇も女院もかぎりなく思ひ聞えさせ給ひつるにいとあさまし。さるは誠にやあらむ、又人たがへにや、とかく聞ゆる御事どもぞいと口をしき。「四辻の彥仁の中將忍びて參り給ひけるを、もとあきの中將かの御まねをして又參り加はりけるほどに、あさましき御事さへありて、それ故かくれさせ給へる」などさゝめく人も侍りけり。猶さまではあらじとぞ思ひ給へれどいかゞありけむ。法皇は又文永七年神無月の頃、御手づからかゝせ給へる法花經一部供養せさせたまふ。御八講名高く才すぐれてかしこき僧共を召しけり。世の中の人殘りなくつかうまつる。新院かねてより渡り給へり。さるべき御事とは申しながら、何につけても御心ばへのうるはしくなつかしうおはしまして、院のおぼいたるすぢの事は必ず同じ御心に仕うまつり、いさゝかもいでやとうちおぼさるゝ一ふしもなく物し給ふを、法皇もいとうつくしうかたじけなし