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き事のあるを傳へものすべき人のなきにま近きほどなればたよりにもと思ひてせうそこし聞えつるなり。そのむねは、かくて侍るこそは本意あることゝ思ひ、故院のしおかせ給へる事をたがへ奉らむもかたがたに憚り思はぬにあらねど、かくてあるなむ思ひ續くるに罪深くも思ゆる。內の御行く末はいと遙にものせさせ給ふ。いつともなくてはかなき世に命もしりがたし。このありさまのきて心に任せておこなひをもし、物まうでをもし、安らかにてなむあらまほしきを、むげに先の東宮にてあらむは見苦しかるべきなむ。院號たまはりて、年にずらうなどありてなむあらまほしきを、いかなるべき事にかと傳へ聞えられよ」と仰せられければ、かしこまりてまかでさせ給ひぬ。その夜はふけにければ、つとめてぞ殿に參らせ給へるに、內へ參らせ給はむとて御さうぞくのほどなればえ申させ給はず。大方には御供に參るべき人々、さらぬもいでさせ給はむにげざんせむと多く參りつどひて物さわがしければ、御車に奉りにおはしまさむに申さむとて、その程寢殿のすみのまのかうしによりかゝりて居させ給へるを、源民部卿よりおはして、「などかくてはおはします」と聞えさせ給へば、この殿には隱し聞えさせ給ふべきことにもあらねば、「しかじかの事のあるを、人々のさぶらふめればえ申さぬなり」とのたまはするに、御氣色うちかはりてこの殿も驚きたまふ。「いみじうかしこき事にこそあなれ。唯疾く聞かせ奉らせたまへ。內に參らせ給ひなばいとゞ人がちにてえ申させ給はじ」とあれば、げにとおぼして、おはします方に參り給へれば、さならむと御心えさせ給ひて、すみのまに出させ給ひて、「東宮に參りたりつるか」と問はせ給へ