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世を亂らむなど思ひよりけるものゝふのこの御子の御歌すぐれてよませ給ふによりよるひるいとむつましく仕うまつりけるほどに、おのづからおなじ心なるものなど多くなりて、宮の御けしきあるやうにいひなしけるとにや。さやうの事どものひゞきによりかくおはしますを、おぼし歎き給ふなるにこそ。日頃ながあめ降りて少し晴間見ゆるほど空のけしきしめやかなるに、二條富小路殿に本院新院ひとつに渡らせ給ふ頃、ことごとしからぬほどの御遊ありけり。大宮院東二條院も御几帳ばかり隔てゝおはします。御前におほきおとゞ公相、常磐井入道實氏、前の左のおとゞ實雄、久我大納言雅忠などうとからぬ人々ばかりにて御みき參る。あまたくだりながれて上下すこしうち亂れ給へるに、おほきおとゞ本院の御盃たまはりて、持ちながらとばかりやすらひて「公相官位共にきはめ侍りぬ。中宮おはしませば若し皇子降誕もあらば家門の榮花いよいよ衰ふべからず。實兼もけしうは侍らぬをのこなり。後めたくも思ひ侍らぬを、一つのうれへ心の底になむ侍る」と申し給へば、人々何事にかとおぼつかなくおもふ。左のおとゞは中宮の御事かくのたまふをいでやと耳とまりて心の中やすげなし。一院は「いかなるうれへにか」とのたまふに「いかにも入道相國に先だちぬべき心ちなむし侍る。恨のいたりてうらめしきはさかりにて親に先だつうらみ、悲びの切に悲しきは老いて子に後るゝかなしびには過ぎずなどこそすみあきらにおくれたる願文にも書きて侍りしか」など聞えてうちしほたれ給へば、皆いとあはれとおぼさる。入道殿はまいて墨染の御袖しぼるばかりに見え給ふ。さてその後幾程なく惱み給ふよし聞ゆれば、さしもやはと覺えし