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の上手どもなり。左は大殿よりかずたてつくりて風流の洲濱沈にて造れるうへに、銀の舟二つにいろいろの色紙を書き重ねてつまれたり。數も沈にて造りて舟にいれらる。左右の讀師一度に御前に參りてよみあぐ。左具氏中將、右行家なり。山紅葉、本院の御製、

  「外よりは時雨もいかゞそめざらむ我がうゑて見る山のもみぢ葉」。

終に左御勝の數まさりぬ。披講はてゝ夜更けゆくほどに御遊びはじまる。笛は花山院中納言長雅、茂通の中將、笙は公明の中將にて坐せしにや。篳篥はたゞすけの中將、琵琶はおほきおとゞ公相、具氏の中將も彈き給ひけるとぞ。御簾の內にも御箏どもかきあはせらる。東の御方と聞えしは新院の若宮の御母君にや。刑部卿の君もひかれけり。樂のひまひまにおほきおとゞ土御門大納言通茂など朗詠したまふ。たゞすけ、きんあき聲くはへたるほどおもしろし。川浪もふけゆくまゝにすごう月は氷をしける心ちするに「嵐の山のもみぢ夜のにしき」とは誰がいひけむ。吹きおろす松風にたぐひて御前の簀子にて御みきまゐる。かはらけの中などに散りかゝる、わざと艷なる事のつまにもしつべし。若き人々は身にしむばかり思へり。うら亂れたるさまに各御かはらけどもあまた度くだる。明けゆく空も名殘多かるべし。まことやこの年頃前內大臣基家、爲家の大納言、入道侍從二位行家、光俊の辨入道などうけたまはりて撰歌のさたありつる、唯今日あすひろまるべしと聞ゆるおもしろうめでたし。かの元久のためしとて一院みづからみがゝせ給へば心ことに光そひたる玉どもにぞ侍るべき。年月にそへてはいよいよ外ざまにわくる方なく、榮えのみまさらせ給ふ御ありさまのいみじきに、