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ちありしかば、おとゞ心ゆきておぼさるゝ事かぎりなし。西園寺の女御もさし續きて參り給ふをいかさまならむと御胸つぶれておぼせどさしもあらず。これも九つにぞなり給ひける。冷泉のおとゞ公相の御むすめなり。大宮院の御子にし給ふとぞ聞えし。いづれも離れぬ御中にいどみきしろひ給ふ程、聞きにくき事もあるべし。宮づかへのならひかゝるこそ昔人はおもしろくはえある事にし給ひけれど、今の世の人の御心どもはあまりすくよかにてみやびをかはす事のおはせぬなるべし。これも后に立ち給へば、もとの中宮はあがりて皇后宮とぞ聞え給ふ。今后は遊にのみ心入れ給ひて、しめやかにも見え奉らせ給はねば、御おぼえ劣りざまに聞ゆるを思はずなる事に世の人もいひさたしけり。父おとゞも心やましくおぼせど、さりともねびゆき給はゞと唯今はうらみ所なくおぼしのどめ給ふ。かくて弘長三年きさらぎの頃、大かたの世の景色もうらゝかにかすみわたるに、春風ぬるく吹きて龜山殿の御まへの櫻ほころびそむるけしきつねよりも殊なれば、行幸あるべくおぼしおきつ。關白〈二條殿良實〉この三とせばかり又かへりなり給へば、御隨身ども花を折りて行幸よりもさきに參りまうけ給ふ。その外の上達部も例のきらきらしきかぎり殘るはすくなし。新院も兩女院も渡らせたまふ。御まへの汀に船どもうかべて、をかしきさまなる童四位の若きなどのせて、花の木かげより漕ぎいでたるほどになくおもしろし。舞樂さまざま曲など手をつくされけり。御あそびの後人々歌たてまつる。花契遐年といふ題なりしにや。內の上の御製、

  「たづねきてあかぬ心にまかせなば千とせや花のかげにすごさむ」。