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りて、御簾の內にさぶらひ給ふさまかたち、この君しもぞ又いとめでたく飽くまでしめやかに心の底ゆかしうそゞろに心づかひせらるゝやうにて、こまやかになまめかしうすみたるさましてあてにうつくし。いとゞもてしづめてさわぐ御胸を念じつゝ用意をくはへ給へり。笛すこし吹きなどし給へば雲ゐにすみのぼりていとおもしろし。御箏の音のほのかにらうたげなる搔き合せの程なかなか聞きもとめられず淚うきぬべきを、つれなくもてなし給ふ。撫子の露もさながらきらめきたる小袿に、御ぐしはこぼれかゝりて少し傾ぶきかゝり給へる、傍めまめやかに光を放つとはかゝるをやと見え給ふ。よろしきをだに人の親はいかゞはみなす。ましてかく類ひなき御有樣どもなめれば世に知らぬ心の闇に惑ひ給ふもことわりなるべし。十月廿二日參り給ふ儀式これもいとめでたし。出車十輛、一の車の左は大宮殿、二位の中將もとすけのむすめとぞ聞えし。二の左は春日三位の中將さねひらのむすめ、右は新大納言、この新大納言は爲家の大納言のむすめとかや聞えしにや。それよりも下はましてくだくだしければむつかし。御ざうし靑柳、梅枝、高砂、ぬき川と言し。この貫川を御門忍びて御らんじて姬宮一所いでものし給ひき。その姬宮は末に近衞關白家基の北の政所になり給ひにき。萬の事よりも女御の御さまかたちのめでたくおはしませば上もおぼしつきにたり。女御は十六にぞなり給ふ。御門は十二の御年なれば、いとおとなしくおよすげ給へればめやすきほどなりけり。かの下くゆる心ちにもいとうれしきものから心は心として胸のみ苦しきさまなれば、忍びはつべき心ちし給はぬぞ、遂にいかになり給はむといとほしき程もなく后だ