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こゆ。本院と常はひとつに渡らせ給ひて御あそびしげう心やりてなかなかいとのどやかにめやすき御有樣におぼし慰むやうなり。中宮も院號の後は東二條院ときこゆ。二條富小路にぞわたらせ給ふ。おほきおとゞも入道し給ひぬ。常磐井とて大炊御門京極なる所にぞ折々すみ給ふ。この入道殿の御おとゝにその頃右大臣實雄と聞ゆる姬君あまた持ち給へる中に優れたるをらうたきものにおぼしかしづく。今上の女御代にいで給ふべきを、やがてそのついで文應元年入內あるべくおぼしおきてたり。院にも御氣色たまはり給ふ。入道殿の御孫の姬君も參り給ふべき聞えはあれど、さしもやはとおしたち給ふ。いと猛き御心なるべし。この姬君の御せうとのあまたものし給ふ中に〈のイ〉このかみにて中納言公宗と聞ゆる、いかなる御心かありけむ、したゝく烟にくゆりわび給ふぞいとほしかりける。さるはいとあるまじき事と思ひはなつにしも、隨はぬ心のくるしさを、おきふし葦の根なきがちにて御いそぎの近づくにつけても、我かのけしきにてのみほれすぐし給ふを、おとゞは又いかさまにかと苦しうおぼす。初秋風けしきだちて艷なる夕ぐれにおとゞわたり給ひて見たまへば、姬君薄色に女郞花などひきかさねて几帳に少しはづれて居給へるさまかたち常よりもいふよしなくあてににほひ充ちてらうたく見え給ふ。御ぐしいとこちたく、五重の扇とかやを廣げたらむさまして少し色なるかたにぞ見え給へど、すぢこまやかに額より裾までまがふすぢなくうつくし。たゞ人にはげにをしかりぬべき人がらにぞおはする。几帳おしやりてわざとなく拍子うちならして、御箏彈かせ奉り給ふ。折しも中納言參り給へり。「こち」とのたまへば、うちかしこま