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北の方の御子になして男公達も腹々にあまたおはすれど、いづれをも北の方の御子になされけり。このおとゞ入道殿よりは少しなさけおくれ、いちはやくなど坐しければ、心の底にはさのみ歎く人もなかりけるとかや。御わざの夜、御棺に入れ給へる御頭を人のぬすみとりけるぞめづらかなる。御顏のしもみじかにてなかばほどに御目の坐しましければ、外法とかやまつるにかゝるなまかうべの入る事にて、なにがしのひじりとかや東山のほとりなりける人とりてけるとて後に沙汰がましく聞えき。中宮の御事などを深くおぼさるめりしかば、いとほしくあたらしきわざにぞ世の人も思ひ申しける。ありし一事をおぼしいでつゝ、誰もあはれに悲しくて女院の御方々もそれをのみのたまはせけり。十二月一日頃皇后宮又御產とて、天下さわぐに、えもいはぬ玉のをのこみ子〈後宇多院〉うまれ給ひぬ。おとゞ北の方の御心の中思ひやるべし。今ぞ夜の明けぬる心ちしたまふ。院もいそぎ御幸ありてもてはやし奉らせ給ふ。內より御はかせまゐる。例の夜をへての事どもさながらとゞめつ。近衞の左大臣殿へその頃攝錄わたりぬ。廿二にぞなりたまふ。いとめでたきさまなり。岡のやどのゝ御太郞君ぞかし。御悅申に兩院より御馬ひかる。大宮院御琴、東二條院は御笛など賜物どもいつものことなるべし。西谷殿とり申し、深心院の關白とも申しき。

     第九 山のもみぢ葉〈六字一本北野の雪〉

正元元年十一月廿六日、讓位の儀式常の如し。十二日廿八日御即位、よろづめでたくあるべきかぎりにて年もかへりぬ。おりゐの御門はしはすの二日太上天皇の尊號ありて、新院とき