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などめでたくおはしましけり。こゝもかしこも尊き事のみ耳にみちて功濁とはいひがたし。安嘉門院も御法事おこなはる。男も法師もいとまなくあかれあかれまゐり仕うまつらる。佛法のさかりとぞ見えたる。その頃殿の大將〈いへつね〉、內大臣になり給ひぬ。節會はつるまゝに大饗行はる。尊者には新大納言爲氏參られけり。御遊など例の事どもおもしろくなむ。今出川中納言實兼も琵琶彈き給ふ。春のあけぼのゝえんなるに物の音もてはやさるべし。その頃又東二條院熊野へ御まゐり、めでたかりし事どもゝあまりになればさのみはにて漏しつ。かくて四月廿三日より院のうへは又龜山殿にて御如法經あそばす。女院もかゝせおはしましけり。五月廿三日十種供養の御經二部、淨土の三部經もかゝせ給へり。齋會の御ありさまはいつよりも猶いみじ。時なりて寢殿の御しつらひ、淨土のしやうごんもかばかりにこそと見えて、玉の幡、瑠璃の天葢、天に光をかゞやかし、金銀のかざり地を照せるさま筆にも及び難し。上達部左右につき給ふ。左大臣基平、內大臣家經、大納言は良敎、資季、通成、師繼、通雅、中納言は公藤、長雅、通敎、經俊、宰相は時繼、資平、宗雅、雅言、具氏などさぶらはる。盤涉調の調子を吹きて天童二人玉の幡をさゝげて、傳供ども次第に奉るほど鳥向樂を吹き出したり。中島に樂屋はかざられたれば橋の上を樂人つらねてまゐる程、院の上もいでさせ給ひて傳供に立ち加らせおはします御さまいとかたじけなくめでたし。關白殿、おほきおとゞ、左大臣、內大臣皆傳供にしたがはせ給ふ。宗明樂秋風樂を奏して繰り返したる程おもしろき事身の毛だつばかりなり。御前の御遊には笙は公藤、通賴、房名、宗雅、笛は長雅、師親、相保、篳篥は實