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院の御このかみにて、位におはしましゝ時も、御母じろなど聞えさせ給ひしを、この御門いとけなくわたらせ給へば、今はいとゞまして內にのみおはしまして、こぞの八月より皇后宮ときこゆる、後には仙花門院と聞えし御事なるべし。院の若宮十三にならせ給ふは公宗の中將といひし人のむすめの御腹なり。圓滿院の法親王の御弟子にならせ給ふべしとて正月廿八日にその御用意あり。承明門院よりわたり給ふ。院の網代びさしの御車にて、上達部は車、ともざねの大納言を上しゆにて六人、殿上人十六人、馬にていろいろにいとよそほしうめでたくておはしましぬ。その夜やがて御ぐしおろして御法名圓助ときこゆ。いとうつくしげさ佛などの心ちして哀れに見え給ふ。院の宮だちの御中には御このかみにてものし給へど、御げさくのよわきは今も昔もかゝるこそいといとほしきわざなりけれ。御匣殿の御腹の若宮も三つにならせ給へる、承明門院にて御魚味きこしめしなどすべし。これも法親王がねにてこそはものし給はめ。あまたの御中にこの御子は御かたちすぐれ給へれば、院もいとらうたく思ひ聞えさせ給ひけり。かくいふ程に二月一日の夜、常よりも九重の宮の內人ずくなにて大かた夜もしづかなるに、子の時ばかりに閑院殿の二條おもての對より火いできて、棟もえおつる程にぞ始めて見つけたる、あさましともなのめなる。何のたどりもなく唯あわてさわぎ我も人もうつし心なければ、きんなほの中將の御とのゐにさぶらひけるが、車の陣なるを召して皇后宮の御方へよす。內のうへをば御くしげ殿抱き奉らせ給ひて宮もたてまつる。劔璽ばかりとり具して門を急ぎいでさせ給ふ。とばかりありて權大納言さねをの參り給へり