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々まゐり給ふ。攝政殿〈兼經〉左大臣〈かねひら〉右大臣〈たゞいへ〉內大臣〈さねもと〉大納言には公相、實雄、顯定、道良、中納言に爲常、良敎、資季、冬忠、實藤、公光、道成、定嗣、宰相に道行、師繼、顯朝、殿上人は兩貫首をはじめかずしらず、常の年々に越えてこの春はまゐりこみ給へり。人々たちなみ給へる時、左のおとゞは攝政の御子なれば引き退きてたち給へり。右もまたその同じつらに立たれたるに內のおとゞすゝみ出で給へり。それにつぎて大中納言も同じつらなり。よしのり、きんみつ、師繼、顯朝また退きて立ちたれば出入して屛風に似たり。この事見にくしと後までさまざま院の御まへに仰せられて攝政殿に尋ね申され、さたがましく侍りけるを、貞應元年の例などいできて、故野の宮左大臣、今の內のおとゞ、御親の右大臣にて退きたるつらに立たれたりける、その時の記錄など見給はざりけるにやとて、內のおとゞの御ふるまひ心えずとぞ沙汰ありける。院の拜禮はてゝ、內の小朝拜節會などに皆人々こうじ給へるに、又大宮院の拜禮めでたくぞ侍りける。四日は承明門院へ御幸はじめ、院の御さまのつきせずめでたく見えさせ給ふを、あく世なういみじと見奉らせ給ふ。浮織物の薄色の御指貫紅の御ぞたてまつれり。上達部殿上人、直衣うへのきぬ思ひ思ひなり。攝政殿もまゐり給ふ。夜に入りて歸らせ給ひぬれば、やがてやがて又大宮院內へ御幸始め、これも上達部殿上人ありつるかぎりのこりなし、網代びさしにたてまつる。皇后宮の御方の東むきへ御車よせて、宮御對面いとめでたし。うへはまだいといはけなき御程にて、かくいつくしき萬乘のあるじに備り給へる御有さまを女院もいとやんごとなくかたじけなしと見奉り給ふ。皇后宮と聞ゆるはこれも