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早くおはしますに壓れ給へるか。又多くは元方民部卿の靈の仕うまつりつるなり」」といへば、このさぶらひ、「「それもさるべきなり。このほどの御事こそことの外に變りて侍れ。なにがしはいと委しく承りたる事侍るものを」」といへば、世繼、「「さも侍らむ。傳はりぬる事はいでいで承らばや。ならひにし事なれば物の猶聞かまほしく侍るぞ」」といふ。興ありげに思ひたれば「「事のやうだいは三條院のおはしましけるかぎりこそあれ、うせ給ひにける後は世のつねの東宮の御やうにもなく、殿上人など參りて御あそびせさせ給ふや。もてなしかしづき申す人などもなく、いとつれづれに紛るゝ方なく思し召されけるまゝに、心やすかりし御有樣のみ戀しく、ぼけぼけしきまで覺えさせ給ひけれど、三條院おはしましつるかぎりは院殿上人などもまゐりや、御使もしげく參り通ひなどするに人目もしげくよろづ慰めさせ給ふを、院うせおはしましては世の中のものおそろしく、大路のみちかひもいかゞとのみわづらはしくふるまひにくきにより、みやづかさなどだにも參り仕うまつることも難くなりゆけば、ましてげすの心はいかゞはあらむ。とのもりづかさのしもべも朝ぎよめ仕うまつることもなければ庭の草もしげりまさりつゝ、いとかたじけなき御すみかにておはします。まれまれ參りよる人々は世にきこゆる事とて、三宮かくておはしますを心苦しく殿も大宮も思ひ申させたまふに、「もし內に男宮も出でおはしましなばいかゞあらむ。さあらぬさきに東宮に立て奉らばや」となむおほせらるなる。「さればおしてとられさせ給へるなり」などのみ申すを、まことにしもあらざらめど、げに事のさまもよと覺ゆまじければにや、聞かせたまふ御