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條殿〈きんとしの大納言のむすめ〉、二の左あぜちの君〈隆衡のむすめ〉〈たかひらのいもうとイ〉、右に中納言の君〈さねたふのむすめ〉、三の左に民部卿殿、右別當殿、その次々くだくだしければとゞめつ。御童下仕、御はした、御ざうし、御ひすましなどいふ物まで、形ちよきをえりとゝのへられたるいみじう見所あるべし。御せうとの殿ばら右大臣〈きんすけ〉、內大臣〈きんもと〉參り給ふ。かぎりなくよそほしげなり。院の御子にさへしたてまつらせ給へれば、いよいよいつかれ給ふさまいはむ方なし。待賢門院の白河院の御子とて、鳥羽殿に參り給へりしためしにやとぞ心あてには覺え侍りし。御門の一つ御腹の姬宮、この頃皇后宮とて、その御方の內侍ぞ御使に參る。まうのぼり給ふほども、女御はいとはづかしく似げなき事におぼしたれば、とみにえうごかれ給はぬを人々そゝのかし申し給ふ。御太刀一條殿、御凡帳按察使殿、御火取中納言もたれたり。上は十四になり給ふに、女御は二十五にぞおはしける。御門きびはなる御程を、なかなかあなづらはしき方に思ひなし聞え給ひぬべかりつるに、いとざれてつゝましげならず聞えかゝり給ふを准后はうつくしと見奉らせ給ふ。御ふすまは紅のうち八四方なるに、かみにはうはざしのくみあり。絲の色などきよらにめでたし。例の事なれば准后たてまつりたまふ。おほきおとゞも三日がほどはさぶらひ給ふ。上達部にけんばいあり。二十三日また御せうそこまゐる。御使頭中將通世、こたみも殿かゝせ給ふめり。この頃殿と聞ゆるはおほいまうちぎみ〈かねひら〉のおと、ゞをかのや殿の御せうと〈御おとうとイ〉ぞかし。後には稱念院〈殿イ有〉と申しけり。御手すぐれてめでたく書かせ給ひしよ。鷹司殿の御家のはじめなるべし。